東アジアで完結していた古代・中世の日本人にとっての世界
日本人は世界をいかにみてきたか 第1回
さて、フビライの要求に対し、鎌倉幕府の執権・北条時宗は、はっきりと拒否する。が、モンゴル帝国はユーラシア帝国を席巻するほどの規模を持っていた。もしそうした正しい世界認識を時宗が持っていれば、むげに拒絶できなかったはず。これについては、宋の仏僧によって世界観をゆがめられたのではないかという説がある。
宋は当時、元の侵略を受けていた。幕府は蘭渓道隆、無学祖元など宋出身の渡来僧をブレーンとしており、彼らが滅びゆく祖国を守りたいと考え、時宗など幕府首脳部に誤った世界認識を植え付けた可能性もあるのだ。
結局、二度にわたって襲来した元の大軍は、暴風雨のおかげで撃退された。日本人は、これを神風が吹いたと信じるようになった。
神国思想は元寇以後、庶民にも広がった
もともと奈良時代に成立した『古事記』、『日本書紀』にも、この世界は神がつくり、日本には多くの神々が住んでいると記されている。「それゆえ、神国日本は国難から守られているのだ」という神国思想は、元寇以後、庶民にも広がったとされる。
室町時代になると、漢民族国家の明が中国大陸を統一し、朝鮮や琉球などがその冊封下に入った。三代将軍足利義満も明の臣として国交を結び、日明貿易で莫大な利益を得た。この関係を屈辱だとして四代義持は交易を中断するが、その後、復活していった。また、朝鮮とも対馬の宗氏を仲介として民間貿易が盛んに行われた。
以上、古代・中世の人々の世界観を見てきたが、じつは東アジア世界で完結されてしまっていることがわかるだろう。もちろん、その先には仏教の聖地であるインド(天竺)があるという「三国(日本・唐・天竺)思想」が伝わっていたと思うが、インドのイメージができる人間はほとんどいなかったはず。そういった意味では、日本人にとって世界というのは、中国と朝鮮に限られていたのである。
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